1.はじめに 琵琶湖の西岸(湖西)に、堅田(かたた)という地区があります。 琵琶湖のくびれた位置に、琵琶湖の東西を結ぶ「琵琶湖大橋」が架かってい ますが、その琵琶湖大橋西詰の南側です。南北およそ60キロの琵琶湖は、かつて 便利な交通の経路として、船の航行が盛ん でした。 堅田は、航路の要衝を占める位置にある ため、経済や文化の拠点として栄えました。 JR湖西線の堅田駅から1.5キロ程の 位置に、有名な「浮御堂」(うきみどう) をはじめ、いくつかの観光ポイントがあり ます。 2.湖族の郷 浮御堂の近くに、「湖族の郷資料館」という建物がありました。 「湖族」とは、司馬遼太郎さんが使った用語だそうで、「堅田衆」とでも呼 べば分かり易いかもしれません。 二階建ての建物で、堅田の歴史や文化を説明したパネルや資料が沢山陳列 されていました。(入館料はたったの100円です)
琵琶湖では、比較的大きな船が就航し ていたそうです。 ←湖族の郷資料館 ↓丸子船の模型
いただいた資料を基に、堅田の歴史をざっと拾い上げてみます。 ・ 894年 − 伊豆神社創建(堅田の氏神) ・ 995年 − 満月寺(浮御堂)建立 ・1090年 − 居初家が湖上特権を掌握 ・1338年 − 勾当内侍(新田義貞の妻)入水 ・1415年 − 祥瑞庵にて一休さんが修行開始 ・1465年 − 蓮如が堅田に移った ・1468年 − 延暦寺秀徒が真宗門徒を攻撃(堅田大責) ・1500年 − 近江八景が制定された ・1570年 − 三豪族の若侍が信長に参軍して活躍 ・1680年 − 天然図画庭園が作られた ・1685年 − 芭蕉が観月会を開いた それでは、南の浮御堂から北の琵琶湖大橋に向って歩いてみましょう。 3.浮御堂 堅田には、有名な「浮御堂」(うきみどう)があります。 近江八景のひとつの「堅田の落雁」には、浮御堂が描かれています。 近江名所図会(1814年出版)には「堅田満月堂 世に浮御堂と云う」 と紹介されています。
←堅田の落雁(広重)(大津市歴史博物館収蔵) ↓浮御堂(近江名所図会)
近江名所図会には、芭蕉さんが観月会で詠んだという句が書き込まれてい ます。 鎖(じょう)明けて月さし入れよ浮御堂
浮御堂は、湖族の郷資料館から100メート ルあまりの至近距離にあります。 ←満月寺(浮御堂) ↓
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対岸に近江富士が見えます。 ←鉄筋コンクリート製の浮御堂 ↓浮御堂から見た琵琶湖大橋
4.蓮如ゆかりの寺 堅田は比叡山に近いため、叡山の山門との関わりがありました。 応仁2年(1468年)には、山門の総攻撃に遭い、灰燼に帰したそうです。 蓮如を慕う一向門徒の拠点となった「本福寺」は、「湖族の郷資料館」の近 くにあります。
本福寺の隣にある「光徳寺」は、蓮如 の苦境を救うために殉教した「堅田源兵 衛」を祀っています。 ←本福寺 ↓子供が遊んでいた光徳寺
堅田を追われた信徒は、沖島に逃げた人もいたようです。 沖島は、淡水湖としては珍しく人が住んでいる島です。沖島の「西福寺」に は、蓮如の像が建てられています。 (既報の「沖島」もご参照ください) 5.祥瑞寺 祥瑞寺(しょうずいじ)の門前には、「一休和尚修養地」という大きな石 碑が建てられています。 一休さんは、22歳のときから12年間、この寺で修行を積んだそうです。
←祥瑞寺表門 ↓境内
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境内には、芭蕉さんの句碑があります。 芭蕉さんがこの寺を訪れたときに詠んだ 句だそうです。 朝茶飲む僧静かなり菊の花 ←本堂と鐘撞堂 ↓句碑
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祥瑞寺と道路を挟んだ斜め横にあるの は、伊豆神社です。 この神社は、堅田の氏神として祀られて きた古い神社です。 ←伊豆神社 なお、祥瑞寺も伊豆神社も、周囲に堀がありますが、水は溜まっていませ ん。江戸時代の地図を見ると、いずれも周囲は水路として使われていたもの と思われます。 この点を「湖族の郷 資料館」で訊ねたところ、たしかに水路として使わ れていたそうです。疎水が作られる前の昔は、琵琶湖の水位が現在よりも高 かったそうです。祥瑞寺も伊豆神社も、堀は石とコンクリートで固められて いますが、その工事は(昭和の)大戦後に行われたのだそうです。 6.天然図画庭園 堅田の元豪族、居初(いそめ)家が現在も残っています。 現在の堅田漁港の南隣です。 居初家は平安時代に関務、運送、漁業などの湖上特権を得、江戸時代に至 っては大庄屋を務めてきたそうです。 居初家の「天然図画亭庭園」(てんねんづえていていえん)が一般公開され ています。
天然図画亭からは、枯山水庭の向こう に湖東の連山を眺めることができます。 ←天然図画亭 ↓湖に面した庭園(対岸に近江富士)
天然図画亭庭園の隣には堅田漁港がありますが、漁港会館の前に芭蕉さん の句碑がありました。 海士屋(あまのや)は小海老にまじるいとど哉 (「いとど」とは、コオロギに似た虫で、カマドウマ、エビコオロギとも 呼ばれるそうです) 7.灯台 堅田漁港の少し北に「出島(でけじま)灯台」があります。 明治8年(1875年)に建てられたという木造の灯台です。
高さ約8メートルで、大正7年(1918年) まではランプが使われていたそうです。 一時途絶えていた点灯が、地元有志により、 平成元年(1989年)に再開されたそうです。 ←出島灯台 ↓
8.野上神社 琵琶湖大橋の西詰近くに野上神社があります。 ここには「勾当内侍」(こうとうのないし)が祀られています。 勾当内侍は新田義貞の妻です。新田義貞は北陸に出陣したとき、妻を堅田に 残しました。義貞が落命したことを知った妻は、琵琶湖に身を投げたのだそ うです。
←野上神社 ↓勾当内侍の墓
新田義貞は上州の人です。 群馬県の郷土カルタ(上毛かるた)は、新田義貞のことを れ:歴史に名高い新田義貞 と讃えています。 9.おわりに 牛若丸が鞍馬から平泉に脱出したとき、堅田から対岸の草津へ渡った、と 村上元三さんの「源義経」に書かれていたように記憶しています。 (既報の「義経元服の地」をご参照ください) 堅田は、近年に至り、多くの作家から関心を寄せられた土地です。 三島由紀夫、司馬遼太郎、城山三郎、水上勉、川口松太郎、五木寛之、井上 靖、などの著名作家が堅田を取り上げ、作品を発表しています。 「湖族の郷資料館」の2階には、堅田を取り上げた作家の作品が展示され ていました。 (散策:2007年08月17日) (脱稿:2007年09月04日) ------------------------------------------------------------------
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