湖族の郷資料館 堅田衆 浮御堂 芭蕉さんの句碑
          一休さん修行の地 出島灯台 野上神社 など


                     湖 族 の 郷
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1.はじめに   琵琶湖の西岸(湖西)に、堅田(かたた)という地区があります。  琵琶湖のくびれた位置に、琵琶湖の東西を結ぶ「琵琶湖大橋」が架かってい  ますが、その琵琶湖大橋西詰の南側です。  20070831katadamap2.jpg  南北およそ60キロの琵琶湖は、かつて 便利な交通の経路として、船の航行が盛ん でした。  堅田は、航路の要衝を占める位置にある ため、経済や文化の拠点として栄えました。  JR湖西線の堅田駅から1.5キロ程の 位置に、有名な「浮御堂」(うきみどう) をはじめ、いくつかの観光ポイントがあり ます。 2.湖族の郷   浮御堂の近くに、「湖族の郷資料館」という建物がありました。  「湖族」とは、司馬遼太郎さんが使った用語だそうで、「堅田衆」とでも呼  べば分かり易いかもしれません。   二階建ての建物で、堅田の歴史や文化を説明したパネルや資料が沢山陳列  されていました。(入館料はたったの100円です) 20070903katada (12).jpg  琵琶湖では、比較的大きな船が就航し ていたそうです。 ←湖族の郷資料館     ↓丸子船の模型    20070903katada (13).jpg   いただいた資料を基に、堅田の歴史をざっと拾い上げてみます。       ・ 894年 − 伊豆神社創建(堅田の氏神)    ・ 995年 − 満月寺(浮御堂)建立    ・1090年 − 居初家が湖上特権を掌握    ・1338年 − 勾当内侍(新田義貞の妻)入水      ・1415年 − 祥瑞庵にて一休さんが修行開始    ・1465年 − 蓮如が堅田に移った    ・1468年 − 延暦寺秀徒が真宗門徒を攻撃(堅田大責)    ・1500年 − 近江八景が制定された    ・1570年 − 三豪族の若侍が信長に参軍して活躍    ・1680年 − 天然図画庭園が作られた    ・1685年 − 芭蕉が観月会を開いた      それでは、南の浮御堂から北の琵琶湖大橋に向って歩いてみましょう。 3.浮御堂   堅田には、有名な「浮御堂」(うきみどう)があります。  近江八景のひとつの「堅田の落雁」には、浮御堂が描かれています。   近江名所図会(1814年出版)には「堅田満月堂 世に浮御堂と云う」  と紹介されています。 20070903katada (18).jpg ←堅田の落雁(広重)(大津市歴史博物館収蔵)  ↓浮御堂(近江名所図会) 20070903katada (17).jpg   近江名所図会には、芭蕉さんが観月会で詠んだという句が書き込まれてい  ます。        鎖(じょう)明けて月さし入れよ浮御堂 20070817katada (6).jpg  浮御堂は、湖族の郷資料館から100メート ルあまりの至近距離にあります。 ←満月寺(浮御堂)   ↓  20070817katada (5).jpg   20070711katada(2).jpg  対岸に近江富士が見えます。 ←鉄筋コンクリート製の浮御堂   ↓浮御堂から見た琵琶湖大橋  20070817katada (19).jpg 4.蓮如ゆかりの寺   堅田は比叡山に近いため、叡山の山門との関わりがありました。  応仁2年(1468年)には、山門の総攻撃に遭い、灰燼に帰したそうです。  蓮如を慕う一向門徒の拠点となった「本福寺」は、「湖族の郷資料館」の近  くにあります。 20070903katada (20).jpg  本福寺の隣にある「光徳寺」は、蓮如 の苦境を救うために殉教した「堅田源兵 衛」を祀っています。 ←本福寺   ↓子供が遊んでいた光徳寺  20070817katada (7).jpg   堅田を追われた信徒は、沖島に逃げた人もいたようです。  沖島は、淡水湖としては珍しく人が住んでいる島です。沖島の「西福寺」に  は、蓮如の像が建てられています。  (既報の「沖島」もご参照ください)  5.祥瑞寺   祥瑞寺(しょうずいじ)の門前には、「一休和尚修養地」という大きな石  碑が建てられています。  一休さんは、22歳のときから12年間、この寺で修行を積んだそうです。 20070817katada (8).jpg ←祥瑞寺表門   ↓境内  20070817katada (11).jpg 20070817katada (10).jpg 境内には、芭蕉さんの句碑があります。 芭蕉さんがこの寺を訪れたときに詠んだ 句だそうです。  朝茶飲む僧静かなり菊の花 ←本堂と鐘撞堂   ↓句碑  20070817katada (9).jpg   20070817katada (22).jpg  祥瑞寺と道路を挟んだ斜め横にあるの は、伊豆神社です。 この神社は、堅田の氏神として祀られて きた古い神社です。 ←伊豆神社   なお、祥瑞寺も伊豆神社も、周囲に堀がありますが、水は溜まっていませ  ん。江戸時代の地図を見ると、いずれも周囲は水路として使われていたもの  と思われます。   この点を「湖族の郷 資料館」で訊ねたところ、たしかに水路として使わ  れていたそうです。疎水が作られる前の昔は、琵琶湖の水位が現在よりも高  かったそうです。祥瑞寺も伊豆神社も、堀は石とコンクリートで固められて  いますが、その工事は(昭和の)大戦後に行われたのだそうです。 6.天然図画庭園   堅田の元豪族、居初(いそめ)家が現在も残っています。  現在の堅田漁港の南隣です。   居初家は平安時代に関務、運送、漁業などの湖上特権を得、江戸時代に至  っては大庄屋を務めてきたそうです。  居初家の「天然図画亭庭園」(てんねんづえていていえん)が一般公開され  ています。 20070903katada (16).jpg  天然図画亭からは、枯山水庭の向こう に湖東の連山を眺めることができます。 ←天然図画亭   ↓湖に面した庭園(対岸に近江富士)  20070903katada (15).jpg   天然図画亭庭園の隣には堅田漁港がありますが、漁港会館の前に芭蕉さん  の句碑がありました。     海士屋(あまのや)は小海老にまじるいとど哉  (「いとど」とは、コオロギに似た虫で、カマドウマ、エビコオロギとも   呼ばれるそうです) 7.灯台   堅田漁港の少し北に「出島(でけじま)灯台」があります。  明治8年(1875年)に建てられたという木造の灯台です。 20070711katada(1).jpg  高さ約8メートルで、大正7年(1918年) まではランプが使われていたそうです。  一時途絶えていた点灯が、地元有志により、  平成元年(1989年)に再開されたそうです。 ←出島灯台     ↓    20070817katada (2).jpg 8.野上神社   琵琶湖大橋の西詰近くに野上神社があります。  ここには「勾当内侍」(こうとうのないし)が祀られています。  勾当内侍は新田義貞の妻です。新田義貞は北陸に出陣したとき、妻を堅田に  残しました。義貞が落命したことを知った妻は、琵琶湖に身を投げたのだそ  うです。 20070817katada (1).jpg ←野上神社    ↓勾当内侍の墓   20070817katada (21).jpg   新田義貞は上州の人です。  群馬県の郷土カルタ(上毛かるた)は、新田義貞のことを     歴史に名高い新田義貞  と讃えています。 9.おわりに   牛若丸が鞍馬から平泉に脱出したとき、堅田から対岸の草津へ渡った、と  村上元三さんの「源義経」に書かれていたように記憶しています。  (既報の「義経元服の地」をご参照ください)   堅田は、近年に至り、多くの作家から関心を寄せられた土地です。  三島由紀夫、司馬遼太郎、城山三郎、水上勉、川口松太郎、五木寛之、井上  靖、などの著名作家が堅田を取り上げ、作品を発表しています。   「湖族の郷資料館」の2階には、堅田を取り上げた作家の作品が展示され  ていました。                   (散策:2007年08月17日)                   (脱稿:2007年09月04日) ------------------------------------------------------------------
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